転生したらニートだった。苦労して社会経験と自己研鑽を積む日々からの脱出。始まりそして終わり。
問題から逃げても別に解決しないし
"無"が傍で待っている件について。
どうも、迷える今を生きるみなさん初めまして、私の名前は深淵さんです。
そもそもブログの書き方を全然しらないのでやりながら勉強していきます。
読みにくい文章でお目汚しすることをご容赦いただければ幸いです。
かつては名前がありましたが、人生のコンパスが北じゃなくて南を差したり
それを北だと思い込んでたオメデタな人生をそうとは知らず進んだ結果
無 を経験して個性を無くしました。(元々あんまりないけど)
今回、皆さんにお伝えしたいのは人生に運が良ければ巡り逢うかもしれない
”無”とか困難とかその辺に立ち向かう方法的な何かです。これらを己の体験談を
用いてなんとか伝えられたらいいなと思ってます。
生憎筆者には文才がないというか変に頭がカチンコチンなので、全然伝わる気はしないけど
伝えたいという意思表示だけはしたいと考えています。(伝われ〜)
さて、本題ですが皆さんこういう感情を胸に抱いたことはないでしょうか?
・今は辛いけど、ガマンすればなんとかなるかも。
・どうしようもないことばかりで上手くいかない。
・辛いことから逃げ出して楽になりたい。
私もそうでした。辛いことから目をそらしてケセラセラ。
なんの気なく生きていけるようになりたい。
ハイ、なりました。晴れて辛い労働社会のレールからバゴーンと脱出、もとい脱線
してニートになりました。一年間1ミリたりとも働いてないです。
お金にも特別困ってません。(別に特別楽もしてません。)
そんな人生いつまでも続くわけねーな、と一人で内心焦って就職活動に勤しんだ日々も
束の間、疲れて休憩してるうちに時は流れ、日が暮れて...気づけば一年が経ちました。
自分の場合そういった感情を抱いたのは無職という状態の現状に対してで、
その辛い時間はゆったりとしかし確実に流れていきました。このまま放置すれば
自分は世捨て人になるのか?あるいは死ぬのであろうか?と悩んで夜も眠れず体も精神も
壊しましたが、結論から死なないし世捨て人にもなりませんでした。
ただし代わりに与えられたのは苦でもなければ楽でもない
”無” でした。
これからは一年間向き合い続けた人生とそこに待ち受けていた”無”について
落書きしていこうと思います。
お付き合いいただける方はどうぞ、よしなに。
今回はここまで、ご機嫌よう。さようなら、さようなら。
深淵さん(06/05/2021)